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〈個人〉であるということ


——「BRITISH VIDEO ART SHOW: Hidden Desires & Images」展カタログに寄せて:YBA総括論その2

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コリショー 「少なくとも(アーティストなら) 単一の人間としてなにかを言う機会が掴めるだろ?」

 

フリードマン 「たぶん、それこそコンテンポラリー・アートの駆け引き(ポリティクス)なんだな。個人のポリティクス(政治学)。」

 

コリショー 「自己耽溺だと思わないか?」

 

              マット・コリショウ×カール・フリードマン

              『Minky Manky』展カタログより、1995

「ビデオ」と「英国」。

仮に今回の展覧会を超=単純化してみれば、このふたつのバズ・ワードが核になっているわけ、ですね?

そこにどう「アート」が絡んでくるかというのが本来の問題なわけですが……実を言えば、ビデオの制作に励んでいる英国人は、なにもアーティストばかりじゃない。

いま気になる話題の注目作と言えば、《Britain: The Young Country》!

その名も勇壮なこの作品こそ、昨年の1997年秋、英連邦加盟国サミットの機に制作・発表された、英政府オフィシャル・プロモ・ビデオだ。

 

1979年以来、18年間の長きにわたった保守支配を打ち破り、1997年5月に誕生した新生・労働党政権。その栄えある期待の党首、トニー・ブレアが総指揮を採ったこのたびの制作の真意は、この国のプランド・イメージを「若々しい才気(タレント)と創造性(クリエイティヴィティ)に満ちた躍動する英国」路線で一大刷新すること。

かくして、厳かに貴賓を迎え入れるべく赤絨毯で敷き詰められた女王様の宮殿も、お馴染みの黒い背高帽をかぶり金ピカの楽器や馬を小道具に式典の行進に励む衛兵も、白い綿毛の羊たちも、つる薔薇の這うボート小屋に彩られて緑の庭にたたずむ由緒正しき領主の館風の1980sカントリー・ハウス様式も、いまや脇役に配置変え。

首相いわく、「モダン・ブリティッシュ・アイデンティティ」を示すには、「過去の特色を今 日の世界に適用させる」必要があるとのこと。

替わって主役の座に躍り出たのは、90年代流「ベスト・オブ・ザ・ブリテイッシュ」。

先端化学、宇宙工学、都市再開発、金融、情報通信、デザイン、ファッション産業などなど、この国が、目下、世界に誇るハイテク/クリエイティヴ/サーヴィス産業関連商品の数々なわけだ。

クローン羊「ドリー」の誕生、世界記録を更新する超音速車の開発、土星観測チームの躍進に、マイクロソフト社によるケンブリッジ大学提携「青田買い」プロジェクトの実現などなど、サイエンス陣営の活況ぶりもさることながら、総事業費7億5000万ポンドとも噂される「ミレニアム・ドーム建設プロジェクト」を軸として、テムズ河畔にある旧火力発電所をテイト・ギャラリー現代美術専用別館として開館するプランや、リチャード・ロジャースによるサウス・バンク複合文化センターの大改装案など、西暦2000年(ミレニアム)に向けて進行中の首都圏再開発プランの波も、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

ファッション産業はこの10年間で3倍強の市場を築き上げたし、政府のデザイン産業顧問として業界の大黒柱テレンス・コンラン卿を指名するという噂も流れている。地価高騰とポンド高のニュースに悲喜こもごも、期待と不安に揺れる国民を尻目に、97年度経常収支は12年ぶりの黒字転換。

「新しいクール・ブリタニア時代」の到来に浮き足立つのも無理はない。

どうやら国を上げてのこの大騒動、当分おさまることはないらしい。

スピネッリ 「君や君の世代の作家の作品のなかには、なにかとりわけて「英国的」なところがあると思うかい?」

 

ヒューム 「ああ、あるね。でも本当のところそれがなんなのかはっきりとはわからないけど。いつも「外部」にいたっていう感覚かもしれない。議論の外側にね。アメリカじゃ、アーティストは自分たちのことを「文化的に有効」な存在だと感じて、それに適ったようにふるまう。ここでは(アーティストは)「文化的に有効」ではないと感じる。けれど、英国的な帝国主義やそれにまつわる「文化的有効性」の記憶も存在する。ある種、傲慢さの残音が微かに響いている。」

 

スピネッリ 「(最近の若い英国系)アーティストたちは、自分たちの文化を有効化しようとしているのかな?」

 

ヒューム 「俺のことじゃない。キレイなもの、自分がどの文化からやってきたかなんてこととは無関係のものをスタジオでつくって、「自分を有効化」する。俺のやりたいことはそれだけだもの。」

 

             ギャリー・ヒューム×マルチェロ・スピネッリ

             『Brilliant!: New Art from London』展カタログより、
              1995

製造業からサーヴィス産業への基幹産業の推移を促進し、福祉大国の栄誉を返上しつつも規制緩和と民営化の荒療治を遂行、自由競争市場経済を讃えたのは、かのサッチャー政権の新自由主義だったわけだが、この路線転換の効用が一気に浮上してきた現在の英国。

明日の糧をつくりだす素粒子として、一風変わったエネルギーを発生する個人の脳味噌(ブレーン)は、思っていた以上に重用されるべきものとして公に認知され始めている。

こんな気運の高まりのなか、はっきり言って信じられない事態だが、コンテンポラリー・アート界も、前代未間のスケールで、この国の人びとの注目を集めている。

なぜか?

 

ひとつには、単純な話で、この10年ほどのあいだに、才能ある作家がたまたま英国から大勢登場してきていたこと。

第二に、粋のよい若手アーティストがあまりにたくさん一時期に噴出したので、次第に一種のムーブメントとして包括的に認知されるようになり、マス・マーケット/マス・メディアを舞台とする流通が容易になったことが挙げられるだろう。

国際舞台に出て活躍し、ある程度、名の知れた作家だけに限っても、今日では数にすれば50、60人は下らないであろう「YBA / yBa  (Young British Artists / young British artists)」たち——。

そもそもの「事の始まり」とされているのは、10年前の1988年。

頭から尻尾まで、縦ふたつ切りにした牛の親子のホルマリン漬け作品などで知られるデミアン・ハーストが、美大在学当時、仲間の学生たちと企画した「フリーズ(凍結 Freeze)』展と、そこから輩出されたギャリー・ヒューム、セアラ・ルーカス、マット・コリショー、サイモン・パタソン、アンガス・フェアハーストらの「第一世代」の活躍ぶりというのが定説になっているが、 ダグラス・ゴードンやスティーヴン・ピピンら、独立独歩型作家も同時期に活動を開始。

その後、92〜93年頃からは、ギャヴィン・ターク、 D & J チャップマン、サム・テイラー=ウッド、スティーヴ・マックイーン、J & L ウィルソン、シヴォーン・ハパスカら、「次世代アー

ティスト」も続出してくる。

本展出品作家のうち、スミス/スチュアート、ダレン・アーモンドは、さらにその後、出てきた作家たちということになる。

 

以上、歴史的な流れを要約するとこのような具合になるわけだが、本展で見られる作品のなかに、現在の英国アートシーンを取り巻くこうした状況を切実に伝えてくるものがある。

ヒュームの《クヌート王としての私》(1994) だ。

クヌート王は、11世紀初頭、イングランド、ノルウェー、デンマークの3国を武力によらず平和的外交手腕で制覇したと伝えられる王のことだが、 彼には、今でも広く語り継がれている逸話がある。

ある時、王は、玉座に座ったまま家臣に自分を海の中へと運ばせ、襲い来る荒波にむかって静まるよう命じた。

もちろん波は静まらなかった。

この逸話の解釈は幾つか存在するが、有名どころをふたつ紹介しよう。

ひとつは、彼を絶対視する宮廷の人々に嫌気がさした王が、わざと自身の不完全さを見せつけるために行ったという説。

もうひとつは、彼は実際、自分の万能さを信じ、波を鎮めることができると疑わなかったが、 その傲慢さから権威を失墜することになったという説。

前述の「フリーズ(凍結)」展を契機に、ヒュームはハーストと並んで、もっとも早くスターダムに登った作家のひとりとなったわけだが、巷で「YBA」の代表格とみなされていた彼が、自身のセルフ・イメージをクヌート王になぞらえてみたわけだ。

「YBA」、あるいは、彼自身を巡る「神話づくり」 への、 皮肉と喋笑まじりのパロディ。 初期の彼の作風は、とある病院のドアから寸法を計ってキャンヴァスに写し、家庭用ペンキで塗りあげたもの。

「扉というシンボルの(病院という機関による)民主的な使用」(ヒューム)についての平面をつくっていた。

その後、94年頃から、大衆文化や私的な経験に参照しつつ、カラフルでポップだが、往々にして両義的な意味を込めたイメージを描く現在のスタイルに移行したが、沈黙していた時期に本作を撮影。

スタジオ裏の路上に置いたバス・タブに水を張って、バーガー・キングの子ども用冠を被る彼のかたわら、彼の息子が父親の煙草に火をつけようと飛び回っている。

歴史上の偉人に関する逸話を現代に置き換えて、威厳もなにもなくなるほどに、卑俗で庶民的な日常の話にしてしまう手法は、モンティパイソン的。

うんざりするほど「英国的」なジョーク、というわけだ。

ロバーツ 「(ビデオ作品《摩訶不思議な自然の威力(マーヴェラス・フォース・オブ・ネイチャー)》の撮影で)この間は、魔術師に空中浮遊の術をかけてもらってたようだけど、今度は(ロンドンのイーストエンドの一角)バーモンゼイのパブでナイト・エンターテイン・ショーをプロデュースするんだって?

観客を楽しませること、それってアーティストの仕事の一部だと思うかい?」

 

ターク 「ある人にね、こんなことを訊かれたことがある。2週間続けて毎晩5分間MTVに出るのと、1か月間どこかの国立美術館で展覧会するのと、どっちがいいかって。僕としては美術館のほうを選ばなきゃなんなかった。MTVのほうが、はるかに巨大なオーディエンスを与えてくれるだろうけど、美術館の環境が自分の仕事する環境である以上は。アートはいま、すごく大変な仕事を抱えちゃってると思う——だって、エンターテインメント産業と同一線上に置かれてしまってるわけだから。娯楽として見ると、アートはべつにとくに楽しませてくれるもんじゃない。僕自身、アートに信じられないくらい心を動かされたことなんて、数にすればごくごくわずかしかない[…]それでも、(そのアートが)よいものなときは、すごく、すごくよいと感じる。実際、問題なのは、サクセスフルな作品をつくろうとトライするってことだ。それ以上もうなにもつくる必要が自分にとってもなくなってしまうような作品をつくるっていうことが、絡んでくるんじゃないかと思う。」

 

ロバーツ 「じゃあ、ギャヴィンは「アートを終結させた男」として歴史に刻まれてゆくってわけだね。」

 

                 ギャヴィン・ターク×ジェームズ・ロバーツ

                 『frieze』Nov/Dec  1993

ヒュームのビデオが撮られたのは5年も前のこと。

いまでは「YBAを巡る神話づくり」のスケールは、はるかに広範囲に及んでいる。

ファッション誌を開けば、若い英国系アーティストの作品がマルティプルでくっついてくるし、新聞の一面に目を移せば、音楽や映画、メディア関連のセレブリティと並んで、アート界の若僧が、女王の招待客として宮殿に集うシーンも見られる。

ヒースロー空港に降り立てば、「ボンベイ・サファイア」のばかでかいビルボード広告からトレイシー・エミンが微笑みかけてくるし、ロンドン一クールな話題のレストランに行けば、その店まるごとがハースト作品だったりもする。

テレビをつければ、モナ・ハトゥムやハーストの「TV彫刻」作品も放映され、別のチャンネルではジェイク・チャップマンがブラーのデーモン・アルバーンのために、彼の自宅に合わせて自作を披露していたり……。

アートがこの時代にあって、いかに社会と関わりうるかを観察するには、なかなか面白い事態ではあるが、ヒトが社会的な動物であるように、アートもまた、どうせもともと社会的なものなのだ。

「社会」の規模の大きさの問題と、「モノ」の力の及ぶ深さの問題は、基本的には無関係だ。例えば、ギャヴィン・タークの《ポップ》(1993)は、後者の問題に絡む良い例だと思う。

ここで彼は、セックス・ピストルズのメンバー、シド・ヴィシャスの扮装をして、ウォホー

ル作の《エルヴィス》のポーズを取った自身の等身大蝋人形をガラスケース内に陳列した。ユース・カルチャー発祥の地としての自己認識を築いた、ポスト1960年代の英国を象徴する偶像(アイコン)としてのヴィシャスは、また同時に「信じられないほどの負け犬」(ターク)でもある。

反逆への憧憬を象徴しつつも、急速な商業化の前に敗北したパンクの両義的な魅力の双方を容認するのは、きわめて「英国的」なセンティメンタリティに依るかもしれないが、しかしその一方で、アメリカに渡って滅びたこの「負け犬」は、また、例えば、外観の面で、ヘルス・エンジェルスとカウボーイ文化のアメリカに多くを因っている。

複数の「文化の物語」が交錯する多層構造の作品と言えるだろう。

そんな彼の今回の出品作は、小さな公民館(パブか? いずれにせよ近隣コミュニティの定期集会用空間のようだ)で、地元住民を観客に、これ以上ないほど単純な機材を用いて最小の予算で行われるマジック・ショーの様子を収めている。

そんな日常臭い舞台設定にもかかわらず、紳士然としたマジシャンの気品溢れる振る舞いにつられて、うっかり真剣に見入ってしまいそうだ。

科学とオカルトに対するアマチュア至上主義的アプローチが微笑ましく、一昔前のテレビ番組を懐かしく思い起こさせる。

絵に描いたように典型的なシーン——。

一見してこんなふうに思ったが、本当にそうか? 子どもの頃、自分の眼で見たような既視感に襲われるが、実際、記憶を辿ってみると、そんな番組を見た覚えはない——かもしれない。

実体験の有無を超えて問題となるのは、人々の心象風景の中にこうした既視感を植え込む「歴史」自体、というわけだ。

 

ところで、まったく別の次元の話だが、スミス/スチュアートの作品には、どこか似通った雰囲気が漂う。

アマチュア主義的純朴感の話。

 

タークの作品が 「科学的真実」へのトリックによる挑戦と虚偽、 仕掛けに対して人々が抱く不信感、そしてどこかでその否定的予測を裏切られたいという期待を扱っているとすれば、サム・テイラー=ウッドの《疲れ果てて》は、「感情の虚偽と真実」を取り上げている。

バックに流れる音楽の煽る高揚感や消沈の波調と、素裸で両足を踏みしめ、すべもなく立ち尽くす女の無表情さとが奇妙に食い違い、観客を心もとなくさせる。

音と映像のどちらに従って、この眼の前に置かれたものが発してくる意味を捉えればよいのか?

そこに浮かび上がってくるのは、スクリーンの中の世界における真実味の不確かな在り処であると同時に、われわれの心の中にあるはずの、メッセージを受信し判断する機能の有効性への疑問でもあるだろう。

 

コンテクストとモチーフの擦れを扱っている点では、ダレン・アーモンドの巨大扇風機作品 も同様だ。

扇風機は——サイズを別にすれば——どこの工場、 厨房、 病院やオフィスビルの一室にでもありそうな、無個性的で規格化されたものだ。

大量生産に対応した機能主義的製品といった雰囲気を醸し出すこの物体は、たとえ視界に入ってきても、ふだんは気にも留められない存在だが、本来の機能性を無意味化する異質の空間に取り付けられることで初めて、逆説的に、存在主張を開始する。

フリードマン 「いつもアーティストになりたいと思ってた?」

 

エミン 「いいえ。3年くらい前、(中絶体験から創造性に対する混乱を抱えて 「感情的自殺」 状態に陥っていた時は)なにがなんでもアーティストにはなりたくなかった。いちばんなりたくないものだった。」

 

フリードマン 「小さい時はどうだった?」

 

エミン 「イエス。確かに4つの選択肢のひとつだったわ。」

 

フリードマン 「ほかの3つはなに?」

 

エミン 「女優、ダンサー、ライター。でもあたしのママはあたしにスチュワーデスになってほしかったの。」

 

フリードマン 「なんで?」

 

エミン 「「高すぎる期待」ってやつよ。」

 

フリードマン 「4つのうち、ふたつはもう実現したじゃないか。ほかのはどう?」

 

エミン 「両方ともこのひと月のうちにやる予定。(4つの仕事をてがけるという行為自体)それって完璧にアートでしょ? 自分のすることの背後にある態度(アティテュード)の問題よ。なにをするかの問題じゃないわ。[…]人があたしの作品を見に来てくれて、しかもアートのことなんかじゃなく、人生(ライフ)のこと、本当のこと、 実際、肝心なことを話し出してくれると、すっごく気分がいいわ。あたしのアートはどんな意味をもってるのかとか思いあぐね始められたりしたら、あたしはマズい仕事をしちゃったことになる。」

 

                  トレイシー・エミン×カール・フリードマン

                  『Minky Manky』展カタログより 1995

テイラー=ウッドが感情的虚偽の問題を扱っているとすれば、トレイシー・エミンは感情的真実を曝け出す作家だ。キャンピング・テントの内部に、かつて自分がベッドをともにした人々すべての名前を——性的な関係の相手のみでなく、家族や友人も皆ひとしなみに——アップリケで綴った《わたしがこれまで一緒に寝たみんな 1963-1995》では、観客は彼女の人生における私的な関係の残り香の漂うテント内に入り、その記憶を共有しつつ、自分自身の体験してきた過去を振り返る契機を与えられる。

自分の身に起きた事柄を日記のように率直に描いたプリントを制作したり、大切にする過去の思い出の品々や作品 (そのほか、洋服や画材、あらゆる私物)で飾りたてられた私設の「ミュージアム」で訪れる人たちと会話を交したり、要するに言ってみれば、彼女自身の人生と存在が作品であるかのようなアーティストだ。

今回展示されるのは、過去の中絶体験について彼女が辿ってきた自身の感情的経緯を語るビデオ《どんな感じがするか》と、海辺の小さな故郷マーゲイトで過ごした思春期、レイプに始まる性的体験の記憶を振り返る《なぜわたしはダンサーにならなかったか》からの抜粋だが、後者のラストシーンで、 劣等感を力に変えて踊る彼女の生き生きとした顔を見れば、なぜ自分に対してつねに正直であろうとする彼女の姿勢に多くの人が魅了されるのか、わずかばかりでも肌で感じ取ってくれる人もいるだろう。

 

長くなったが、彼らひとりひとりのアーティストがもつ個性の多彩さを感じ取ってもらえただろうか? 

あとは、受け手個人個人の問題だ。

なぜならば、アートとは、本来、究極のミニ・プロ産業=個人の脳味噌を原動力になにができるのかいう問いを実践する一種のショーケース、であるのだから。

 

 

 

初出=『British Video Art Show "Hidden Desires & Images"』展(キュレーター=飯田高誉)カタログ、1998、パルコ株式会社:東京 © 1998 PARCO GALLERY / ART DYNAMICS INC.

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