カール・フリードマン・
インタビュー
——「イングリッシュ・ローズ:トレイシー・エミン、ジリアン・ウェアリング、ジョージナ・スター」展に寄せて——YBA 論その5
Courtesy of the artists and the curator
カール・フリードマンという男をご存じだろうか? 1990年、ロンドンのイースト・エンドにある廃虚と化したチョコレート工場「ビルディング・ワン」を舞台に、当時まだほとんど無名だったデミアン・ハースト(牛を縦ふたつに切断しホルマリン漬けにした作品などで知られる)やマット・コリショウら若手アーティストの新世代をプロモート、彼らの展覧会をキュレートし作品のディーリングも手がけつつ、現在まで続くヤング・ブリティッシュ・アーティストたちの活躍の契機をつくりだしてきた男だ。アート界広しといえど、実際、新進アーティストたちと同じ次元に立って、彼らとともに「私たちの時代のアート」が芽生える状況をクリエイトするというハードなポリシーを貫き通す人間は驚くほど少ない。フリードマンはその数少ない人間の貴重なひとりとして、現在もフリーのキュレイター/ライターとして活動を続ける。そんな彼が、3人の英国の女性アーティストたちとともに制作したビデオ・アート《イングリッシュ・ローズ》を引きさげ、今月、東京で初めての展覧会を披露する。以下、1997年末にロンドンで取材したインタビューよりハイライトをご紹介。
「《イングリッシュ・ローズ》のビデオはもともとはパリであった展覧会「LIFE / LIVE」のために撮ったんだ。その展覧会のコンセプトっていうのが、英国内にあるインディペンダント系のアート・スペースに各自小さなショーをキュレーションさせるっていうものだったんだけど、そのひとつでロンドンのキングズ・ロードにあったIASっていうスペースも参加の依頼を受けた。ここのオーナーは自分では展覧会をキュレートしない人で、彼が俺に何か代わりにやるよう言ったんだ。で、当初の案ではトレイシー、ジョージナ、ジリアンの3人展をするはずだったんだけど、実際、プランを練ると、各作家の作品で互いにマッチするものが見当たらなかった。それで代わりに、4人でコラボレーション・ビデオをつくろうってことになってね。「お互いに相手の格好をして真似し合ったら面白いんじゃない?」って。」
「《イングリッシュ・ローズ》っていうタイトルは、ある種、アイロニーを込めて付けたんだ。「イングリッシュ・ローズ」なんていう名の花は実際には存在しないんだけれど、なぜかこの言葉は英国美人の典型を指す語として使われている。綺麗な服を来て花畑にたたずんでるような。このイメージって(このビデオをつくった)彼女たちとは正反対。そういうジョークも込めてるんだけど、それともうひとつ、いまブリティッシュ・アートを巡って巷で大騒ぎしてるじゃない? で、俺らとしては「英国人のアイデンティティー」とか「英国 の美術様式」とか「英国人気質」とか、そういう(ステレオタイプ的イメージという)ものが実際存在するのかということについてのパロディを呈示した。「このイギリス女性作家 たち」とか言われてさ。彼女たち、ぜんぜんそんな人間じゃないのにね、ほんとは。」
「そんなこんなで、4人とも夢中になって撮影を開始した。俺たち皆すごく仲が良いし、お互いの実生活や癖とかもよく知ってる。それで各自基本的に好きなように相手の物真似をして、あとでみんなで編集することにした。俺は当時トレイシーと付き合ってたこともあって、ジリアンがトレイシーになる部分で一緒に撮影したり……。トレイシーの留守中に彼女のフラットへ行って、ジリアンにトレイシーの洋服を着せて……。そうそう、トレイシーってよく「ワンダブラ」(バストアップ効果のあるブラジャーのブランド)してるんだけど、それをジリアンにつけさせてさ。(笑)ジリアンとか普段はぜんぜんそんな格好しないでスニーカーとか愛用してるくちなんだけど。そんな感じで即興的に撮った。楽しかったかって? そりゃもちろん! でも、ところどころ、残酷になりすぎちゃってカットしたシーンもあった。個人的な性的関係のこととか、「私はXXと寝てア ート界で成り上がった」とかさ。実生活じゃ、もっとお互い辛辣なことも言い合って手が付けられないんだけど。(笑)」
「ポップカルチャー、とくに音楽は、若い世代の作家にはすごく影響していると思う。子どもの頃聴いた音楽とかディスコに行った記憶とか、そういう経験は今の自分をかたちづくる大事な部分になってるものだし、実際、今でも音楽は自分の生活の一部っていう作家も多いし。ことにこの国では、ポップ・ミュージックってユースカルチャーにものすごく影響していて、自分のポリシーや態度を見極めるのに作用する。それなのに、なかにはアーティストのことを「軽薄ポップ野郎」とか「アート界の馬鹿女」とか蔑む連中もいる。アーティストは深刻に悩んでなきゃいけないと期待してるんじゃない?」
「まあ、この3人もそれぞれ他の作品には、すごくシリアスに取り組んでるし、俺も文章を書いていたり、シリアスなことはそれなりにやってる。今のブリティッシュ・アート・シーンを特徴づけてることだと思うけど、ここでは、アーティストも皆、自分のやりたいことをやってエンジョイしている。ユーモアって英国美術の中では重要な要素だしね。テイト・ギャラリーもこの作品を買ったし……。あれはサクセスフルなジョークだったよな。(笑)だけど、ニューヨークやベルリンのアート界じゃ、みんなくそ真面目すぎて、すごく退屈。そういうところに行くと、「ロンドンは変なところだ。(現在の英国美術の盛り上がりは)単なる流行と馬鹿げたポップ・ミュージックののりだけだ。」って言われることもある。でも実際、今のニューヨークやベルリンのアートを見ると、大概、つまらないかひどいクオリティで、色褪せて映る。それに比べるとここではレコード・カヴァーのデザインをやっている連中とか、ミュージシャンや広告畑の人間だとか、いろんなジャンルのクロス・オヴァーもあって刺激的だ。いろんな人間がいろんな場所で展覧会をやったりしてるし……。」
「自分に正直なのが英国らしいって? 正直であることって、友人関係ではすごく大切なことだろ? それに、この国では基本的にアーティスト自身が状況をクリエイトしたからね。(美術館などの)公共機関でもなければ、商業画廊でもなく、コレクターでもない。(現在の若手英国出身/在住アーティストたちの活躍という状況が)スタートした当初、ここにはコレクターなんて皆無だったし、今でもほとんどいない。若い作家を見せる画廊も、今でこそ増えたけど、10年前はぜんぜん。せいぜい1、2軒だけだった。まさにアーティスト先導型の状況だったし、今もそうした風潮はかなり残ってると思う。だから作家は、自分で自分を取り巻く世界をつくりださなきゃならないけれど、反面、怖がるものは何もない。アート界の権威組織や画廊が何を求めているか、気に疾む理由なんてひとつもない。けれど、例 えば、ニューヨークとかでは、若いアーティストは実際、たんに(シーンの中で)存在するのにも、そういう連中に依存する必要に迫られる。だから、どうしてもいろいろと神経質にならざるをえない。自分のやってきたことを振り返っても、文章が上達したのとあとはそういう(アート界の)構造に仲間入りしないで、やりたいようにやってこれたということは感じるね。クリエイティヴでいる自由さえあれば、特定のやり方に縛られないでもいい。きついこともあって落ち込むけど、それでもね。(笑)」
「今は本の執筆で忙しいけど、そのあとはまた、何か違ったことがしたいな。フィルムを撮るとかスパイ小説を書くとか……。まだ未定だけど。(笑)」
Tracey Emin
トルコ系の父と英国人の母のもとに生まれ、いじめにあった幼年期の思い出、13才でのレイプ体験など、自身の(性的な)体験をもとに制作。彼女という人間自体が作品とも言うべ きエミン。1993年にはロンドンのイーストエンドでセアラ・ルーカスとともにスペース『The Shop』を運営。中絶体験からきた「創造性自体への疑問」から「感情的自殺」状態に 陥り、3年ほどアート制作を断念していたが、活動を復帰、現在の方向性を確立。《わたしがこれまで一緒に寝たみんな:1963-1995》では、キャンプ用テントの内部にかつて彼女がベッドを共にした人々(性的な関係の相手のみでなく家族や友人も)の名をアップリケで綴り、観客は彼女の人生における私的な関係の残り香の漂うテント内に入ることでまた自身の体験をも振り返ることができる。日記の一部をピンク色のネオン・チューブで綴った作品や痛切で艶っぽいドローイングなども。昨年春の個展以後、一躍英国アート界のスター的存在に。現在は「ボンベイサファイア」などのCF出演などにも忙しい。
Gillian Wearing
見知らぬ人々や自分自身の姿をドキュメンタリーの手法でホームビデオに納め、通常は社会的な制約のもと覆い隠され伝えられることの困難な人々の私的な告白を暴き出し、フィクションと現実の狭間を縫う仕事を展開するウェアリング。ロンドン市内のショッピングモール内の路上でラジカセの音楽に合わせてひとり踊り続ける《ダンシング・イン・ペッカム》(1994)、白い包帯で顔を覆い街角を歩いて周囲の人々の反応を撮影した作品、通りす がりの人々に思い思いのコメントをサインボードに記入させ、それを掲げた彼らの姿を撮 影した《サインズ…》(1992-93)などで出発。《10-16》(1997)は身障者を含めた数人の大 人たちの映像に10才から16才までの子供たちの肉声を被せたもの。昨年度のターナー賞を受賞したが、ドキュメンタリーとアートの差異、一般大衆のプライヴァシーの搾取に関する倫理的問題などを巡って論争を呼んだ。
Georgina Starr
偶然の発見を契機に「伝達(コミュニケーション)」の問題を扱った作品や、私的な体験とその記憶を巡る作品などで知られる。幾枚もの矢印型の紙切れを路上で宙に放ち、そのさまをカメラに収め、矢印が描くムーブメントを楽譜に転移、こうして「作曲」された音楽を口笛で吹いてレコード盤に収めた《エディ》(1992)などで出発。《…について話す》(1993)では、2体の紙人形が静電気で動くさまを記録した映像に、スター自身の語りによるふたりの人物の会話を被せて、コミュニケーションの擦れを扱う。道端で拾った見知らぬ男性「エリック」宛ての手紙の耒から端を発し、知人から股聞きした同名の人物に関するさまざまな逸話や幾人もの占い師たちの予測を通じて、 彼/虚構の「エリック」の人格を再構成した作品《エリック》(1993)なども。近年では子供時代に見た古いジェリー・ルイス映画を自身の記憶だけを頼りに再構築したビデオ・インスタレーション《小さな惑星への訪問》(1994-95)など、殊にポップカルチャーへの言及が目立つ。
初出=『STUDIO VOICE』1998年2月号、インファス:東京