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——天に送ることば


 

父、川出盛也は、とても心の美しい人でした。

寛容で理性的であり、与えられるよりも多くを与え、愛される以上に愛し、

慈悲と愛に溢れた、寛く深い心の持ち主でした。

穏やかで優しく、理知的で情熱的、知的好奇心旺盛、

朗らかで快活に、私たち家族や、仕事や社会で出逢った方々を、

頼もしく率いてくれる人でした。

きわめて誠実で誇り高く、たいへんな努力と勤勉の人であり、

父の両親と私たち、7人の大家族を支え養い育てた人でした。

幼い頃から、私たち兄妹にとって、自慢の父でした。

良き息子、良き夫であり、良き社会人でもありました。

いつも私たち家族の中心にあって、

笑顔で私たちそれぞれを照らし、励まし、

私たちの背中を押して成長させてくれる、

そんな太陽の陽射しのような、

穏やかに支えてくれる、

晴れた海の水面のような人でした。

1930年(昭和5年)、当時、中日新聞の記者で新感覚派の歌人であった父と母のもとに

長男として生まれ、名古屋と岐阜で育ちました。

十代の多感な時期に、学徒動員や友人たちの死を経験し、

また、戦前、1920年代末から40年代初頭までニューヨークで商社勤務をして開戦に伴い帰国した母の家族と出逢い、

のちにアメリカに帰化した母の兄とは生涯の無二の親友となりました。

アメリカをはじめとする広い世界に憧れ、英語を生涯学び続け、

日本と世界の架け橋となることを夢見て、

じっさいに海外と縁深い仕事も多々手がけました。

大学では工学と建築を学び、

エンジニアとして、業務用大型空調設備を製造する高砂熱学工業に入社。

のちには取締役、外資との合資による関連会社社長を務め、経営の道を歩みました。

若かりしときは、西洋の文化や思想にも強い関心を示し、

プロテスタントの教会で活発に活動して

牧師様にならないかとお声がけいただいたこともありました。

何事にも熱心に誠意を尽くし、つねに希望を失わず、

より良い未来を目指しておりました。

高潔な心と寛容の倫理、愛の哲学をもって全うした生涯であったと、

私は、果てしなく深く広い愛を注ぎ、育て、見守りつづけてもらった娘として、

感じています。

 

神様、父の心がどうかすこやかに、幸せに、御許にいつまでもありますよう、

心からの祈りを捧げます。

 

 

2019年7月2日、多臓器不全のため、横須賀にて逝去。享年89。

 

 

 

2019年7月記

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